大雲寺公式ページ=(Daiunji)天台證門宗、京都洛北の古刹・天禄2年(971年)創建・円融天皇勅願寺、山号「紫雲山」「石座山」を有し最盛期には一山三塔、七堂伽藍四九院・僧兵千人をかかえていた。
源氏物語「若紫」の舞台となり、紫式部の曾祖父(真覚上人)が初代住職をつとめた。第四世住職「成尋阿闍梨」「参天台五台山記」・井原西鶴の「好色一代女」・太平記の舞台として大雲寺は有名。
本尊は「行基菩薩作」十一面観音・歴代阿闍梨の霊力で脳病を平癒させ、境内にある閼伽井(あかい)からは観音水と親しまれる霊泉が湧きでて、今日も万病に効くと信仰されている。当寺は加持祈祷を行う密教寺院で、
難病平癒・霊障除去・死霊・悪霊・不成仏霊・生き霊等を済度することにより霊障除去を行う。現住職の霊視能力、加持力は天台密教を極めた阿闍梨にのみ与えられる 不思議な霊力である。
境内には三面石仏・松尾芭蕉句碑・藤原藤房(万里小路中納言)髪塔などあり。 納骨、永代供養、承ります。在家密教道場(得度・僧籍・専修課)・・・・文 (酒井善敬)

 

                   絵   馬

                        

                                                 

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  当寺には絵馬堂がなく、本堂に懸けられている。正保3年(1646)の繋馬図(6)と曳馬図(4)が際だって古く、

他は正徳期以後の作でしめられている。40数点の絵馬を保有するが、全体として画面の保存状態はすこぶる良

い。唯一、近江八景図(5)はヤニ状の液体が垂れて、画面を無惨にしているのが悔やまれる。

  享保7年の年記のある大雲寺境内図(2)は、当寺きっての大画面である上に、金地彩色の手法をもってみごと

に境内の景観をとらえている。金雲と松の木立に包まれた本堂が中心となり、境内には慎ましげに人影をそえる。

往年の参詣曼荼羅図にみるような、賑わいかえる境内の景気といったものとは区別されているところは、筆者の

狩野永伯
(1687−1764)の力量の凄さをしのばせる。永伯は京狩野派の五代目当主にあたる。

 次に延享4年の伊勢物語図(1)は筒井筒の場面をあらわしている。能舞台をみるようないたって簡潔な画面で

あり、作風にも一種独特の軽妙さをともなう。筆者 英慶子は当事、画名も高かった歌舞伎役者、中村慶子(2代

中村冨十朗 1719−1786)のことであり、願主が井筒屋というのも画題と縁があって面白い。

 安政6年の曳馬図(未掲載)は一部に雨漏りによる汚損が認められるが、筆者の捜朴斎は、梶捜朴で鶴沢派の

大森捜雲の弟子にあたり、宝暦期前後に活躍した画人である。

  次に双馬図(未掲載)は文政2年の年記と「豊彦」の署名があるが、四条派呉春の高弟で岡本豊彦(1773−

1845 六波羅蜜寺に墓所有り)の筆である。

 岸駒の位牌を祀る大雲寺は岸派とも縁の深い寺で、岸駒、連山、の「虎之図」や岸駒の孫、岸真作の松虎図

(8)等を保有する。

 その他 当山の御詠歌(9)、観音菩薩姿図(10)、騎馬武者図(3)、永楽通宝「宝塔」、法華経八巻などが奉

納されている。              

1 英慶子(中村) 筒 井 筒(伊勢物語)(85×125)

2 狩野永伯 大雲寺境内図 (115×220)

3 騎馬武者  佐々木與一常政十三歳(90×135)

4  忠治   曳 馬  (80×95)

5 近江八景 (70×100)

    6  繋  馬(60×90)

7 神宮皇后と竹ノ内すくね

8 松 虎  岸 真作 (50×60)

9 北岩倉 十一面観音

10 大雲寺 御詠歌

11 天保四年 大雲寺参詣の図

12 妙法蓮華経八巻 (40×180)