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大雲寺は西鶴の「好色一代女」の最終章「皆思惑の五百羅漢」に登場する。
『主人公は「お春」といい十三歳で名もない侍と初恋を経験し、十六歳の時に父親が抱えた五十両の負債のため遊女になり、十三年年期奉公を勤めた。年期が明けてからも水商売から足は洗えず、諸所へ奉公し、多くの男と関係を持って、六十五歳に達した。ある時、過去に堕胎した水子九十五〜六体を幻視し、また、大雲寺の五百羅漢像が皆、かつて逢瀬を結んだ男たちの顔に見えてきた。お春は、生涯に一万余の男と関わったこと、多くの水子をつくったことを恥じて大雲寺を出ると「好色庵」という庵を結び仏道へと入った。』

井原西鶴 1642(寛永19年)−1693(元禄6年)
江戸中期の華やかな時代「元禄」に生きた浪華の巨匠。若い頃は天下一の速吟で知られた宗因に師事し、俳諧師として活躍、41歳の天和2年10月「好色一代男」を刊行するとたちまちこれが一世を風靡し、散文作家へと方向転換する。西鶴によって「浮世草子」という新しいジャンルが誕生した。
その後、好色物「好色一代女」、武家物「武道伝来記」、町人物「日本永代蔵」「世間胸算用」などを雅俗折衷文で発表した。
[西鶴作の主な浮世草子]
・『好色一代男』天和二年(1682) ・『諸艶大鑑』貞享元年(1684)
・『西鶴諸国はなし』貞享二年(1685) ・『好色一代女』貞享三年(1686)
・『本朝二十不孝』貞享三年(1686) ・『武道伝来記』貞享四年(1687)
・『日本永代蔵』貞享五年(1688) ・『世間胸算用』元禄五年(1692)
・『西鶴置土産』元禄六年(1693) ・『西鶴織留』元禄七年(1694)
西鶴のプライベートな生活については不明な点が多いが、若くして愛妻をなくし、盲目の娘にも先立たれるなど不遇な身の上だったようである。

なぜ大雲寺が舞台なの?
平安時代から大雲寺は「この世の浄土」といわれ朝野の信仰をあつめていたが、応仁の乱や戦国時代といった受難の時期もあり荒廃した時代もあった。寛永年間には「義尊」によって中興され、再び大雲寺は全国にその名を馳せるほどの有名寺院となった。またブレークする最大のきっかけとなったのが義延入道親王(後西院天皇第四皇子)が百三十年ぶりに勅封(天皇が行った封印)を解いての秘仏十一面観音の御開帳を行ったことであった。ご利益にあずかろうと、善男善女が全国から集まってきて、人気の観光スポットとなっていた。市がたち縁日で賑わい、その様は瓦版や人口によって広まり、時代をとらえる作家 西鶴がいちはやく作品に流行を取り入れたことは容易に想像できる。
好色一代女 あらすじ
好色庵の庵主は、名前も年齢も不詳の老女で、身よりもない。
庵に訪れた二人の男に、老女が在りし日の派手な男遍歴を語り始める。
遍歴のはじまりは十三歳の頃。元は京都の公卿の娘として生まれた彼女「お春」といい、器量も良く宮仕えをしていた。若く美しかった御所勤めの頃のお春に懸想した公卿の若党勝之介は、彼女をあざむいて寺町の中宿へつれ込んだが、折悪しく役人にふみ込まれた。お春とお春の両親は洛外追放、勝之介は斬首に処された。宇治に移り真葛原の出振舞にて踊ったお春の美しさを見込まれ、江戸松平家のお部屋様に取り立てられ、嗣子までもうけたお春であったが、側近の妬みに逢って実家へかえされ、お春の流転が始まった。
島原の廓に身を売られるが、比類のない美貌、幼い時から手練手管を弄して男をたぶらかす術に長けていた彼女は、たちまち最上位の太夫にまでのぼりつめる。しかし器量を盾に人気が高いことをいいこととし、客あしらいが悪かっため、太夫から天神、鹿恋、端女郎と格をどんどん下げられてしまう。田舎大尽に身受けされようとしたが、彼が偽金作りと判り、笹谷喜兵衛の家へ住込女中となった。それも前身が判ったことから喜兵衛の女房お和佐に嫉妬され追い出された。扇屋の弥吉の妻になり平和な生活に落着けたのもつかの間、弥吉の急死で、笹屋の番頭文吉の世話になったが、文吉がお春のために店の品を盗んだことが発覚、文吉につれられ駆け落ちして桑名で捕えられた。それ以来、生臭坊主の大黒、裕福な町人の腰元、武家屋敷の奥女中、川船の中で春をひさぐ歌比丘尼、貴人の家のお抱え髪結い、裁縫師、茶の間女、風呂屋女、問屋の蓮葉女、私娼、旅篭女、遣り手婆などなど、それこそ女の身一つで出来るこの世にある限りの勤めをしつくすが、どこでも持前の好色と阿漕な行いが災いして長続きしなかった。
ふと自分の名を呼ばれ我にかえったお春は、老母ともから、松平家の呼出しを告げられた。もしや自分の生んだ子がとの喜びも裏切られ、お春は卑しい女に堕ちた叱責を受け、永の蟄居を申渡されたばかりであった。
こうした数多の遍歴の果て、さすがの彼女も寄る年波には勝てず、いつしか六十五歳という老いをかこつ身になってしまう。それでもちょっと見には四十あまりだと人がおだてるのをいいことにして、路上にむしろを敷いて男と寝る夜鷹にまで成り下がる。しかし、いくら闇夜の厚化粧でごまかしても、疾うに還暦を過ぎたお化けなど買う物好きはどこにもいず、夜が白むまでほっつき歩いてもとうとう客は一人もつかなかった。
かくて彼女は淪落の果て、わが性も生ももはやこれまでと観念し、後生を願うつもりで、この世の浄土と名高き「岩倉の大雲寺」に詣でたのだった。有り難いことにはその日はちょうど佛名会で、彼女も念仏を唱えながら本堂から下がって行くと、境内に立派な羅漢堂があった。何気無しに覗いてみると、そこには、どこの仏師たちが彫ったとも知れぬが、ひとりひとり表情の違った五百羅漢が並んでいた。その仏様たちの顔をしげしげと見渡していくと、いつしかそれは、彼女がかつて枕を交わしたことのある、無数の男たちの顔に変っていくではないか。いのちがけで愛してくれた男、やさしかった男、誠実な男、小利口で小心な男、勘定高い男、狡猾な男、いやな男、悪い男、美貌の持ち主だった男、禿頭の男、精力絶倫の男、弱虫で短命だった男。こうして次々と男たちのことを思い出していると、色事に明け色事に暮れたわれとわが身と過来方が、今更のように浅ましく恥ずかしく、胸はとどろき涙はとめどなく溢れて、ついに彼女はその場によよと泣き伏してしまった。
するとそこへ一人のお坊さんがやってきて、「これこれ、ご老女、なにを嘆いておられる、これらの羅漢さまの中に、そなたより先だった子供か夫に似たお姿があっての涙なかな」と問いかけてきた。その問いに「一生の間に契った男は万人あまりもあり、わが身が恥ずかしく、浅ましくて、もはや池に身を投げようとしているところ・・・・」と僧に告げようとすると、僧より「仏門に入って身を清めよ」と諭され、それを機に山奥に草庵を結び念仏三昧の日々を送るのであった。
因みに本作品に登場する羅漢堂も五百羅漢も当初より存在せず、作品の中でのフィクションである。ただし明治以前に旧大雲寺寺領内「華園」に羅漢堂があり羅漢様が祀られていたという史実は残っているが、今日それを確認することは出来ない。 文「酒井善敬」
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